イカダモの世界へようこそ!

 ため池や沼、公園の人工的な池であっても、水を顕微鏡で観察してみると、高い確率で観察される微細藻類がイカダモです。

 細胞が4つ横に並んだ“いかだ”のような形をしていて、分かりやすい微細藻類です。下の写真は、佐賀市内の公園の池の水を顕微鏡で観察した際のもので、矢印で示したのがイカダモです。イカダモと一口に言っても、いくつかの種類があります。

 

 細胞は4つのことが多いのですが、時々8つになったり、2つだけになったりもします。細胞がいくつか集まっているので、イカダモの1コロニーとか1群体と呼ばれています。

 このように、イカダモはすぐ近くの水たまりも生息していますし、理科の資料集などにも登場することがあり、少しは有名ではあるのですが、私たちはイカダモのことをどれぐらい知っているのでしょうか。

 例えば、イカダモは、この地球上にいつから生息していると思いますか?私たちヒト(猿の仲間)は、数百万年前に地球上に誕生し、現在の姿に進化してきたらしいのですが、イカダモは、なんと約6,000万年前にすでに地球に存在していました(Fleming 1989)。

 また、微細藻類は、二分裂で増えるものが多いのですが、4つの細胞が横につながったようなイカダモはどうやって増えるのでしょう?二分裂ならどのように? 正解は、4つの細胞のそれぞれの中から、小さな4つの細胞をもったイカダモが袋を破るように飛び出して増えます。つまり、4つの細胞のイカダモ1コロニーから、4コロニーが誕生します。言わば“四分裂”です。

 このページでは、どこにでも生息しているけれど、案外知らないことが多いイカダモについて、ほんの少しですが、紹介したいと思います。私の研究室では、イカダモを育て、食べ物として利用できないか、有効な成分を抽出してサプリメントや薬として使えないかなどの研究をしています。研究の第一歩は、イカダモについて知ることです。私の研究室で行った研究についても紹介します。最後までお付き合いいただければ幸いです。

Fleming (1989), Review of Palaeobotany and Palynology, 59, 1-6.

イカダモの名前について

 “イカダモ”という呼び名は、“タンポポ”と似て、色々な種類をまとめて表現する和名(日本語の名前)です。タンポポにセイヨウタンポポ(学名:Taraxacum officinale)や、シロバナタンポポ(学名:Taraxacum albidum)など多くの種類があるのと同じように、イカダモにも学名では、Scenedesmus obtususScenedesmus acutusなど多くの種類があります。各種類には、セイヨウタンポポ、シロバナタンポポのような、個別の和名はありません。

 学名とは、科学的な世界共通の名前で、前半は「属名」、後半は「種小名」といい、苗字と名前のような関係です。属名が同じで種小名が違えば、同じ苗字の親戚のような関係の種類、つまり、遺伝的に類似した種類だとわかります。

 イカダモの存在は、200年以上前から知られていました。1829年、今のドイツのF. J. F. Meyen博士が、イカダモの属名として「Scenedesmus」(セネデスムス)と名付けました。「Scene」はギリシャ語で、天幕、テント、舞台などを意味します。写真はビニールハウスですが、骨組みと、骨組みの間のシートが少し膨らんだ状態の並びが、イカダモの細胞が並んだ状態と似ているようにも見えます。200年前のMeyen博士も、骨組みに布をかけた天幕を内側から見た様子に似ていると思ったのでしょうか。それとも複数のテントが規則正しく並んだ様子を離れたところから見た様子に似ていると思ったのでしょうか・・・。

 

「desmus」もギリシャ語で連結、鎖、綱などを意味します。こちらは、つながった細胞を表していると思われます。その後、顕微鏡の発達にともなって、たくさんのイカダモScenedesmusの種類が見つかってきました。私が調べたところでは、800以上の種類がありそうです。

 1990年代以降になると、イカダモのDNA(生物の“設計図”)の配列を調べたり、走査型電子顕微鏡(SEM)という特殊な顕微鏡で観察したりできるようになり、イカダモのグループ分けの研究(分類学的研究)が進みました。それまでイカダモ=Scenedesmusのみだったのですが、「Desmodesmus」や「Tetradesmus」など多くの属に分けた方が良いと分かってきました。「親戚」としてまとめられるけれど、違う苗字の親戚もある・・・という感じでしょうか。

 

イカダモの名前について −番外編− 和名“イカダモ”について

 ここまで、私は、イカダモ、イカダモ、と何回も和名も書いていますが、この和名“イカダモ”はいつ頃名付けられたのでしょうか。1899年(明治32年)の「近世動植物学教科書」(松村・市村1899)には、微細藻類として、「鼓藻」と「半月藻」が紹介してあります。それぞれ、ツヅミモとミカヅキモです。1901年(明治34年)の「中学植物学教科書」(安田1901)では、微細藻類として「つづみも」「みかづきも」「みどりむし」が紹介してあります。「みどりむし」は現在ユーグレナという名前の方が聞いた人があるかもしれません。この時代の学生さん向けの教科書には、イカダモは紹介されていません。

 1901年(明治34年)に出版された、「日本藻類名彙」(岡村 1902)は、日本で確認された大型藻類(海藻)、微細藻類を網羅した専門書で、「Scenedesmus」も掲載されています。もちろん、「つづみも」や「みかづきも」も正式な学名も併せて掲載されています。しかし、「Scenedesmus」とはあっても、「いかだも」とは書かれていません。

 1911年の「植物学各論 隠花部」(安田 1911)は花をつけない(=隠花)植物について分類や形態を詳しく解説した専門書で、多くの微細藻類も扱われています。「みかづきも属(Closterium)」「つづみも属(Cosmarium)」とならび、「せねですむす属(Scenedesmus)」が紹介されています。「いかだも」とは書かれていません。「植物学各論 隠花部」では、和名がついている他の種類にはちゃんと和名が併記されていますので、この時点でも「いかだも」という和名は認知されていなかったのかもしれません。

 その後に出版された、専門書や教科書(岡村 1916, 川村 1918, 畠山 1920, 市村 1924,岡村 1930, 小久保 1948, 広瀬 1959:出版年順)を調べてみましたが、和名“イカダモ”は出てきませんでした。

 そして、「日本淡水プランクトン図鑑」(水野 1964)には、和名“イカダモ”が掲載されています。水野博士は、はじめの方のページで、「プランクトンは、和名のあるものが少なく、大部分はまだ付けられていない。新しく付けることには賛否両論あるが、戦後、プランクトンは、高校・大学は勿論(もちろん)義務教育にも観察や実習に用いられる機会が多く、学名になれない学生・生徒に和名の必要性が増して来ている。従って、今までに付けられた和名は、これを用い、和名のない種類については属ぐらいまでの和名を新しく付け、・・・」(読み仮名を追加して抜粋引用)と説明されています。水野博士が当時大阪教育大学の教授であったことも考慮すると、学生・生徒のため、“イカダモ”とこの時命名されたのかもしれません。

 片山(1992)は小・中学校の理科の教科書に藻類がどのように扱われたのかを調べた調査結果をまとめています。イカダモが初めて教科書に取り上げられたのは、1971年の学習指導要領の改訂後でした。多くの湖沼に生息しているイカダモですので、理科の教材としても利用しやすく、「日本淡水プランクトン図鑑」(水野 1964)によって分かりやすいイカダモという和名が付いたことで、教科書にも登場したのかもしれません。教科書に載ることで、全国的な知名度となり、現在のようななじみのある和名になったのかもしれません。

畠山(1920), 博物学研究, 日進堂.
広瀬(1965), 藻類学総説, 内田老鶴圃.
市村(1924), 要綱植物学講義, 光風館書店.
片山(1992), 藻類, 40, p. 311-315.
小久保(1948), 浮遊生物分類学, 厚生閣.
川村(1918), 日本淡水生物学, 裳華房.
松村・市村(1899), 近世動植物学教科書, 積善館.
水野(1964), 日本淡水プランクトン図鑑, 保育社.
岡村 (1902), 日本藻類名彙, 敬業社.
岡村 (1916), 日本藻類名彙, 成美堂.
岡村 (1930), 藻類系統学, 内田老鶴圃.
安田(1901), 中学植物学教科書, 六盟館.
安田(1911), 植物学各論 隠花部, 博文館.

日本におけるイカダモの生息研究

 日本において、湖沼にイカダモが生息することはいつ頃から認識されていたのでしょうか。日本の明治時代の研究論文を探すと、1896年(明治29年)に発表された報告文に、緑色になったサンショウウオの卵を顕微鏡で観察すると、『スセノデスムス(Scenedesmus quadricauda?)』(原文のまま引用)が確認されたとありました(市村1896)。1800年後半にはすでに湖沼中の微細藻類として認識されていたと思われます。

上野(1933)によると、1898年(明治31年)10月にスイスのカール・シュレーター博士が来日し、栃木県の中禅寺湖で植物プランクトンの調査を行ったことが日本の湖沼におけるプランクトン研究を活発にしたとのことです。翌年には、同じく栃木県の湯ノ湖に発生した珪藻について日本人研究者による研究が発表されています(Miyoshi 1899)。

 どこにどのような微細藻類が生息しているのか詳しく調べる研究は、微細藻類「相(そう)」の研究といいます。ちなみに、どこにどんな植物が生えているのかを調べるのは、植物相の研究です。1900年代に入ると、日本各地の湖沼に生息する微細藻類相研究が行われるようになり、イカダモ「Scenedesmus」も登場しはじめます。1935年には茨城県の霞ヶ浦(宮内 1935)、1938年には、北海道の春採湖の微細藻類相を調査した論文(羽田 1938)に「Scenedesmus」の生息が報告されています。その後も、全国各地で多くの微細藻類相研究が行われ、「Scenedesmus」が日本各地で多くの湖沼から、ほぼ1年を通じて見られる微細藻類であることが分かってきました。

羽田(1938), 陸水学雑誌, 8, p.396-409.
市村(1896), 植物学雑誌, 10, p.140-141.
宮内(1935), 陸水学雑誌, 5, p.26-32.
Miyoshi (1899), 植物学雑誌, 13, p.123-128.
上野(1933), 陸水学雑誌, 3, p.46-49.

イカダモの研究

 私の研究室で行ってきた研究で明らかになったことを紹介します。イカダモの種類の中でも、Desmodesmusの仲間の研究です。
 研究するためには、自然の池から、イカダモの「培養株」を作成しなければなりません。湖沼の水を顕微鏡で観察しながら、特殊なガラス管でイカダモ1コロニーを単離します。単離した1コロニーを微細藻類が必要な栄養素が入った水(「培地」といいます)に入れます。もし、条件が合えば、1コロニーが分裂して増えてくれます。10mLぐらいの試験管の中で2週間ぐらい待つと、数え切れないぐらいに増え、透明だった培地が緑色になるぐらいになります。これが「培養株」です。始まりは1コロニーで、すべて同じDNAをもつクローンです。

 単離しても分裂してくれないことも多いので、培養株が作成できれば、第一関門クリアです。はじめの試験管で増えたあと、1mL程度を新しい培地が入った新しい試験管に移します(「植え継ぎ」といいます)。1、2週間後、2番目の試験管でも同じように増え、さらに3番目、4番目と継続して培養株を維持できれば第二関門クリアです。第二関門をクリアできる培養株が作成できれば、さまざまな培養実験ができるようになります。

(1)イカダモの大量培養

 イカダモの成分を調べてみると、タンパク質がたくさん含まれていることが分かりました。タンパク質を多く含み“畑の牛肉”と例えられるのは大豆ですが、大豆のタンパク質の割合は、100g中33.6g(日本食品標準成分表(八訂)増補2023年より)です。イカダモの培養株dSgDes-eco1株(培養株を識別する記号:「株名」といいます)のタンパク質を調べてみると、100g中40〜50g含まれていることが分かりました。つまり、イカダモは、畑ならぬ、“水たまりの牛肉”になる可能性があります。

 ただし・・・ここで大きな問題があります。顕微鏡サイズのイカダモを100g育てるのがとても難しいということです。先ほど、数え切れないほど分裂して、水の色が緑色になると書きましたが、それだけ増えても10mL程度では0.001gにもなりません。

 微細藻類を大量に培養しようとする試みは50年以上前から行われており、クロレラ、スピルリナ、ユーグレナ、ヘマトコッカスなどで成功しています。イカダモでも研究はされていますが、数L程度の研究例ばかりです。そこで、私の研究室では、100Lの水槽を使った培養実験に挑戦しました。100Lになると、実験室に設置できませんので、農業用のビニールハウスの中に設置しました。

 10mLの試験管で育てたイカダモ培養株dSgDes-eco1株を200mLのフラスコへ、さらに1L、10Lと育て、ようやく100Lの水槽へ移します。イカダモの分裂は、2〜3日に一回起こります。100Lの水槽へ移すまで約1ヶ月ほど実験室で大切に育てます。

 これまで実験室で、まるで赤ちゃんを育てるように大切に育てていた状態から、ビニールハウスの中とはいえ、ほとんど外と同じ環境で育てることになります。強すぎる光を弱める工夫や、適切な培地の成分検討など試行錯誤のすえ、ようやく100Lの水槽3つで育てることに成功しました。

 100L水槽3つで1〜2週間育て、何gのイカダモができると思いますか?正解は、約100gです。そして、タンパク質は、約48%含まれていることが判明しました。たった100gではありますが、今後もっと大きな水槽での培養を行う上では、非常に貴重なデータとなりました。

Demura et al. (2024), Microb. Resour. Syst., 40(1), 27-37.

(2)新種の発見

 生物の新種の発見は、ねらってできるものではありません。私は、運が良いことに、いくつかのイカダモの新種と出会うことができました(Demura et al. 2021, Demura 2022, Demura 2024)。その中の一つDesmodesmus dohacommunisについて紹介します。

 佐賀市内のため池から培養株dSgDes-bを作成した時には、新種であるとは思いませんでした。通常の顕微鏡で観察した時も、特徴が見つけられず、当時佐賀市内でよく見つかっていたDesmodesmus communis(D. communisと略)という種類だと推定していました。

 しかし、走査型電子顕微鏡(SEM)で観察した時、D. communisと違うことに気がつきました。SEMはイカダモの細胞の表面がとても細かく立体的に観察できます。イカダモの細胞表面に、網目の模様が見えることがあり、この模様が種類を決める上で大きなポイントです。D. communisは大きな網目が観察できました(下写真左)。しかし、培養株dSgDes-bは細かい網目だったのです(下写真右)。

 

 さらに、培養株dSgDes-bが作り出すオイル成分を分析したとき、驚くべき成分が検出されました。微細藻類は、体の中にオイル分を蓄積します。植物におけるサラダ油のようなものです。培養株dSgDes-bのオイルの中に、サプリメントとしても発売されているDHA(ドコサヘキサエン酸)が含まれていることが分かったのです。DHAを作るイカダモはほとんど見つかっていなかったため、培養株dSgDes-bは非常に珍しい培養株でした。私が確立したしたD. communisの培養株でも、また、過去のD. communis研究においても、DHAを作るものはありませんでした。

 より詳しく調べるために培養株dSgDes-bと他のイカダモのDNA(DHAと似ていますが、生物の設計図のDNAです)の配列も比較しました。すると、これまで報告されているイカダモのDNA配列との違いもあることが判明しました。

 細胞の表面構造の違い、DHAを産生すること、DNA配列の違いから、培養株dSgDes-bを使って新種Desmodesmus dohacommunisを発表しました。dohacommniusという種小名の後半は、D. communisと似ているため、名前をもらいました。前半の「doha」は、DHAの英語名docosahexaenoic acidのスペルから抜き出して付けました。現在、培養株dSgDes-bの大量培養に挑戦中です。

Demura et al. (2021), Biomass, 1, 105-118.
Demura (2022), Bull. Natl. Mus. Nat. Sci., Ser. B, 48(2), 1-2.
Demura (2024), Scientific Rep., 14, 18980.

これからの「イカダモ」研究

 イカダモの研究を続けていくうちに、分からないことがさらに分かってきました。とくに100L以上の大きな水槽での培養では、実験を重ねるたび、謎が増えていくばかりです。例えば、季節が同じで、気温や光はほぼ一緒なはずなのに、とても良く育つ時と、全く育たない時があります。また、昨日の夕方まできれいな緑色をしていたのに、翌朝には、緑色ではなくなり、茶色や、白色、ピンク色などに変色してしまうことがあります。ピンク色になった時には、ある種のバクテリアが急に大増殖したことがわかったのですが、なぜ、急にそのバクテリアが増えたのか、その原因は分かりませんでした。
 ゆくゆくはイカダモを“水たまりの牛肉”として、大豆と同じように普通に食卓に並ぶ食材にしたいと考えていますが、乗り越える課題点は多く残されています。少しずつですが、着実に研究を進めていこうと考えています。